最近はコロナ禍でお家時間が長くなり、本も今までにないくらい沢山読んでいると、
本いっぱい読んでる俺、カッコいい
なんて思っていた矢先に本棚から「学問のすすめ」が出てきました。これを読むと、何冊読んだかなんて何の価値もないことに気付かされ、ガツンッ!と頭を打たれた様な心境になりました。
ここでもう一度「学問とはなにか?」そんなことを再認識できる手助けになれれば、嬉しいです。
学問の必要性
そもそも福沢諭吉先生はなぜ「学問」をススメたのでしょうか。
誠に勝手ながら当ブログ風にまとめると、
お金持ちで成功している人は生まれも金持ちで、下の人から見ればとても遠い存在に思えるが、その違いは学問の力があるかないかである。
人は生まれたながらに貴賤・貧富が別れているわけではない。学問をして物事をよく知る者は成功者となり金持ちになる。無学な者は貧乏人になり、誰かを恨み続ける様な人になる。
頭がいい人は成功して、馬鹿は貧乏人になるってこと?
低学歴だったら再起不能ってことですか?あ~学歴腐の方ですか?
違う違う!裕福な農家と貧乏な農家、大成功した商人と失敗した商人。この2つにはただ「学問」の力があるかないかで差が生まれるから、学問してみんな豊かになろうぜ!ってお話です。
さっきから言ってるその『学問』ってなにすればいいの?
これについて本書は書かれたものですが、ものすご〜〜〜く簡単に説明すると、以下のようになります。
学問とは、難しい単語を知り、読解の困難な古典を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、一般生活で役に立たない文学ではない。
勉強するべき者は、普段の生活で生かせるような実学である。
ダメな学問の仕方
学問って本読んだり、学校に行って勉強することだよね?上の文だとそれ否定されてません??
もうちょっとダメな例を出して、こうなっちゃいけないよ!ってことを示したいと思います。
文字を読むことだけが学問だとすれば大間違い。文字は学問をする道具にすぎない。
例えばカナヅチやノコギリの名前を知っていても、使い方を知らなければ大工になれない。
「古事記」は暗誦できても今の米の値段を知らない人は、実生活の学問に弱い人である。
高い学費を払って何年も苦労し、西洋で学問を修めても、商売の仕方をしらず、取引ができないものは現実の経済に弱い人である。
こうした人間は「文字の問屋」と言って良い。
学問するにあたって「文字の問屋」になっちゃいけないよ!とまず警鈴を鳴らしています。
学問とはただ読書をすることではない。
「文字の問屋」にならない為には我々は何をしなくてはいけないのでしょうか。これを福澤先生は以下のように述べています。
学問で重要なのは、それを実際に生かすことである。実際に活かせない学問は、学問でないのに等しい。
書物がなければ何を学問しているか言えない学者も多い。これは愚かな話ではないか。
学問とは、観察・推理・読書・議論・執筆・演説である。この6つの方法を使い尽くして初めて学問をやっている人と言える。
僕たちも本を読むだけで終わっていませんか??まず、気になる事象を観察し、そこから推理して、読書で知見を持ち、議論することで知見を交換し、本を書き演説することで、その知見を広めるこの流れが学問の流れであると説明しています。現代風に言えば、
インプットとアウトプットが必要やで。自分の知らないことを知って、それを人に教えるまでが学問っちゅうもんやで
品格を高めよ。
学問を治める者は、演説などで人前に立つわけですから、人の手本となるような人物であるべきとも言っています。その為には品格も高めなければなりません。品格はどのように高めていけばいいのでしょうか。
読書だけでは品格は高まらない。経済学の本を読みながら自分の家計もどうにかできない。口では修身を論じながらも自分の身を修めることを知らない。決して講義をしたり、読書をしたりすることを否定しているわけではない。正しい物事を正しいと判断することと、その正しいことを実行することはまったく別のことなのだ。
では、人間の見識、品格を高めるのはどうしたらよいのか。その要点は、物事の様子を比較して、上を目指し、決して自己満足しないようにすることである。
経営教えてる先生が全員経営者じゃないし、金融教えてる先生が全員金持ちなわけじゃないしね!
次は、「物事の様子の比較の仕方」についてもう少し説明したいと思います。
周りと比較して、酒にも性に溺れず、きちんと生活して周りよりも学問をしているくらいのことで、品格があると言えるだろうか。考えの足りないことはなはだしい。
酒や性に溺れている者や、堕落した生活や学問を怠っている者の是非について議論している内は、議論のレベルが低いと言わざるを得ない。人の品格が進歩したときには、この程度の議論は卒業し、その議論をしていればかえってバカにされる。
グサっと来ませんか?僕の解釈ですけど、比較する相手を間違えるな、下と比較して満足するな!ってことだと思うんですよ。だから「上を目指し、決して自己満足するな」と言っているのだと思います。
トルコとインドが遅れをとった理由。
自己満足してしまった場合、どうなってしまうのかをトルコとインドを例に取るという、まさかの国で解説してくれる規模のデカさに驚いてますが、見ていきましょいう。
インドは紀元前数千年前から文明の発展した国で、トルコは古代から武装の強い国として、時代によってはその影響を四方に知らしめていたこともあった。しかし、今インドはイギリスの植民地になり、トルコは独立は保てているものの、工業は興せず、イギリス・フランスに頼り、兵隊は貧乏で過去の強さは全くない。
彼らが遅れをとった理由は、それぞれの人民の視野がその国内だけに限定されていたからだ。自国の状態に満足して、他国との比較は部分的なところでだけして、そこで優越なしと思って判断を誤ったからだ。議論もここで止まってしまった。国民の皆が太平だと言っても、それは以前の政府と比較してや他国の酷い政府と比較してのものかも知れない。他国の様子全体であったり、1から10を比較しての結論でなかったので、遅れをとることになったのだ。
比較する際は、部分的にでなく、常に全体と比較して考えなくてはならない。
今の日本って部分的な比較で満足してませんか?昔は「家電・車」が強いと言われ、中国や韓国の企業がシェアを奪ってくると、「技術力がある」と褒め、中華製品の技術力が米国を越す勢いになると、「おもてなしの心がありますから」ともはや工業製品ですらない段階に入っています。
他国と比べれば、失業率が少ない。低所得者でも他国に比べれば、文化的な生活が送れている。命の心配はないし、病気になっても・・・
1から10比較して、優位で進んでいると言えるのですか?ここをもう一度認識しなくてはならないのではないでしょうか。全体で比較して日本はいい状態なんですか?少子高齢化政策も全体と比較すれば、いいアイデアのある国があるんじゃないですか?
このままでは、明治時代に危惧されていたような独立を保てない国になってしまうかもしれない!!そこを若い世代である僕たちが改めて認識し、行動を起こさないといけないのかもしれません。
次回はその独立とは何か、明治にこの考えが根底にあったから鎖国状態から西欧に追いつけたマインドなどを紹介できたらなと思ってます!!今もまた技術面で遅れをとっている日本が追いつくにはどうすればいいのでしょうか!?
それでは又又六!!
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タルムード金言集 ユダヤ教の童話からお金持ちマインドを手に入れよう!
ブスのマーケティング戦略〜ブスマインドチェンジ編〜
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