8月15日は終戦記念日でした。西欧では、”VA(Victory over Japan)と勝戦日で祝日のようです。歴史は見方が変われば、受け止め方が違う典型例ではないでしょうか。そこで今回は東南アジア視点の大東亜戦争についてまとめたいと思います。
今回は分かりやすさ重視で、敢えて砕けた言い方にして、まずこんな歴史があったんだとの認識して、調べるきっかけになればと思っています。
当事者にとっては失礼な言い方もあるでしょうし、なにより日本人の立場で書いているので、どうしても公平性に欠けてしまう部分もあるかもしれませんが、ご了承ください。
↓関連シリーズ
大東亜戦争②〜ベトナム・ラオス編〜
大東亜戦争③〜タイ編〜
これを調べようと思ったきっかけ
韓国人の友人と食事をしていたときの話だ。
広島に行った時に原爆ドームに行ったんだよね
あんまり戦時中の日本をよく思っていない韓国人が見る、原爆ドームの印象が気になり、聞いてみると
なんで被害者ヅラしてるの?
え?いや、被害者ヅラじゃなくて、原爆に関しては、完全な被害者でしょ??と少しムッとするとともに、原爆ドームでそんな感想を持つ人もいるのかと驚きました。
でもこの「被害者ヅラ」という言葉がずっと引っかかっていました。そしてつい最近、シンガポール建国の父リー・クアンユーの書籍でたった数行ですが、
日本の統治は、同じアジア人でも白人と同じ残虐な行為ができるのだと驚いた
この言葉と結びついて、
加害者である面については全く知らないし、シンガポールや他の国ではどんな統治をしてたんだろう?
こんなことをきっかけに調査が始まりました。
そもそもの日本人の大東亜戦争の認識
ざっくり説明すると、
- 真珠湾攻撃で戦争開始
- ミッドウェイ海戦で負けてから敗戦色が濃くなる
- ポツダム宣言
島々でドンパチしていた印象ですよね。これなら太平洋戦争という名称がふさわしいでしょう。でも、教科書では、1文程にまとまっていた
「燃料補給のために東南アジアに進出した」
どこまで進出したかというと、これです。
東南アジアで言えば、ミャンマーまでは戦地になったわけです。
東南アジアで戦争?アメリカとミャンマーで戦争してたの?
僕もずっとアメリカとの戦争だと思い込んでいましたが、ABCD包囲網って覚えていませんか?
「アメリカ・イギリス・中国・オランダ」の英語名の頭文字を取って作られたものです。あんまこの包囲網が何したかはしりませんが、四面楚歌だった認識程度でしょうか。実は、これにフランスも加えて、東南アジアでは、イギリス・フランス・中国・オランダとも同時に戦っていたんですよ。フランスと戦った認識とかなくないですか??
だから大東亜戦争の呼称を今回は用います。
マレーシア・シンガポール🇸🇬「いきなりなんすか?」
マレーシア・シンガポールエリアはイギリスの植民地でした。日本軍が攻めてくると知らされても
木で飛行機作ってるらしいでw
と馬鹿にして、防空壕も彫らず、余裕かましていました。しかし、海軍も空軍も敗れ、富裕層が国外に逃げたそうです。
また、日本はアメリカとの戦争の延長線上の戦いでしたが、マレーシア·シンガポール人にとっては、イギリスの法治国家支配で平和に暮らしていた上での、突然の襲撃で
大東亜共栄圏とか言ってるけど、何?こっちは平和で不満ないけど??
こんな感じの印象だったみたいです。しかし、白人至上主義が当たり前の概念として、150年近く統治されていたので、同じアジア人が白人を追い出す様は、
アジア人って白人に勝つことあるの?
多くの驚きを与えたのは事実のようです。そんなイギリスを追い出した1942年から3年間続いた日本統治はマレーシアやシンガポールの教科書ではこのように書かれています。
日本軍の規律と強さを評価しているが、日本の支配は期待を裏切るもので、植民地扱いをし、イギリスの支配よりずっと酷かった。特に憲兵隊は恐れられていた。経済の独占、食糧不足、インフレが批判されている。泰緬(タイ・マレーシア)鉄道に人々が派遣されたことも批判されている。
イギリス支配よりも酷かったとは、かなりショックです。しかし、マレーシアの教科書では、こうも書かれています。
歴史の教科書では、基本的に他国を非難することはなく、現在の関係に影響を及ぼさないことを第一に考えている。
日本の歴史の教科書がどんなスタンスなのか恥ずかしながら知りませんが、ものすごく素敵なスタンスだなと感じます。事実は事実として受け止めて、そこを非難するのは違うよということでしょうか。その好意に甘えるだけでなく、我々日本人も積極的に事実を知らなければならないですね。
フィリピン🇵🇭「元々独立する予定でしたけど」
フィリピンの成り立ちをざっくり説明した後、日本との関係について触れます。
スペイン→アメリカ
フィリピンはマゼランの世界一周の途中で発見され、スペイン領になります。その後、アメリカに2000万ドルで買い取られます。
1934年に1946年の独立を約束する形で、アメリカの範疇にあるままでの独立を企てます。フィリピン軍も仮想敵国日本のために、1935年にマッカーサーが軍事顧問になるが、1941年まで資金不足で結局立ち上げられませんでした。
日本軍の進出
1942年1月には日本軍がマニラを陥落し、5月7日には全軍降伏した。
フィリピン人としては、1946年に独立を約束されていたのに、日本に征服されたという気持ちが強かったようです。
翌年の1943年にフィリピンは独立し、都市部は日本と協力してアメリカと戦いましたが、地方では
この武器で人殺せるらしいやん
と武器の使い方を知らなかったフィリピン人が、日本の戦いの副産物として使い方を習得し、抗日ゲリラ組織や共産主義者から、米比軍将校や下士官が組織したものまで様々な形で、武器を使用した戦いが起きました。ゲリラ戦なので、抵抗する人々や住民などにかなり被害を与えました。
日本の敗戦後、米軍が戻ってきて、米軍こそ解放の主役だと祭り上げられたが、マッカーサーは戦前の統治体制を復活させようとしたため、反対にあい、1946年に改めて独立を勝ち取りました。
この様な経緯を経て、フィリピン人の被害者の親族などの日本人に対する恨みは心の中では大きいものだと考えられます。戦後長年を経て、悪感情は少しずつ減っています。フィリピンのマスコミは公平で、日本からの援助やODAなどきちんと報道しています。教科書でも日本への批判を無理やり強調していないため、憎しみを増幅させ続けることもないみたいです。
まとめ
確かに、日本の侵略で150年、400年近く続いた白人至上主義が崩壊し、その後の独立戦争で西欧を打ち負かした功績はあるのは事実でしょう。しかし、恩恵だけでなく、平和な地に多大な被害ももたらしたのも事実です。
この大東亜戦争シリーズを通して、訴えたいことは、反省が足りないとか、歴史を軽視していると非難したいわけじゃなくて、まず知ってください。これをどう捉えるかはあなた次第です。僕はあまりに知らな過ぎました。今後も重要な関係になる国なので、何を過去に日本がしたのかを知ることはマナーの一つかもしれませんし、他の人と差がつけられるポイントでもあるかもしれません。
今回はこの辺で、それでは又又六!!
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参考図書
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