第一弾を読まれた方は、どのような感想をもたれたでしょうか。今回紹介する中では、特にベトナムが波乱であり、今後も重要な役割を果たす国になるので、歴史的背景をざっくり説明しながら、大東亜戦争から現在までの流れも僕なりに解説していきたいと思います。
前回のお話
大東亜戦争① マレーシア・シンガポール・フィリピン編
大東亜戦争③〜タイ編〜
ベトナム🇻🇳「中国とアメリカに勝って独立したけど」
植民地前
ベトナムは伝説も合わせると約5000年の歴史のある国。紀元前からはっきりとした歴史があり、紀元前111年に前漢に侵略され939年に独立するまで、約1000年間中国の支配下にいました。現在の観光地でも、東南アジアというより、東アジアではないかと言うくらい、文化的には中国の影響が強いです。
1288年に元が攻め入りますが、打ち勝ちます。
いや、そこには勝つんかい!!すげーな!!
ベトナム王朝の特色は、王と農民の距離が近いことです。そのため、大きな宮殿はなく、王族も一般市民とともに生活していました。支配された歴史があっても、同じことはしない姿勢はすばらしいです。
その後も隣国との揉め事は尽きませんでしたが、1802年にフランス人宣教師などの支援を受けて、現在の形に近い統一王朝グエン朝ができました。グエン朝は、清に対しては言わなかったが、清を北朝、自国を南朝と呼び、「中国」と名付け、「皇帝」になりました。
なんやかんや言って、中国に憧れてたんやな
フランスの植民地支配
フランス宣教師と国を建てたにもかかわらず、中国に傾倒していた為、1820年には、キリスト教を弾圧し、1857年には、フランス·スペイン人宣教師を斬首刑にしました。その結果、1858年に外交交渉を捨てた、フランス·スペイン連合軍が現ホーチミン市を陥落させました。恩を仇で返してしまい、これからフランスの植民地となります。
アメリカ大陸を見つけた際に、「インディアン」と言ったように、西欧の人々にとって、アジアは「インドと中国と愉快な仲間たち」くらいの認識しかないので、ベトナムやカンボジア、ラオスなどを支配したフランスはこの地域を「フランス領インドシナ」と名付けます。(以後仏印)。
日露戦争でロシアを破った日本への留学生を送り出す東遊運動が起きます。日本の留学から帰ってきた若者による、ベトナムの近代化をはかる運動が起きるが、フランスに鎮圧されます。
第2次世界大戦で、ドイツがフランスを破り、それに合わせて、日本もアジアのフランス領仏印に侵攻します。フランスは戦う余力がないので、話し合いで仏印の日本へ譲渡が決まります。フランスの50年弱の植民地支配が終わります。
日本はベトナムに対して、「フランスの植民地」の上にそのまま乗っかった二重支配の時期もあり、負担が重かった可能性はありますが、一方で平和裏でフランスから渡されたことで、国民への被害は少なかった。また、日本の非道を強調した反日活動団体ベトミンというものの勢力が強かったのは事実です。
アメリカのダレス兄弟の支配
4年間の日本統治の後に来たアメリカのダレス兄弟がヤバイやつでした。
アメリカは世界で最も倫理的な伝統があり、よりよい未来を見通せる国なんだよね。だから他国がとっちゃダメな行動も許されるちゃうわけ
アメリカ例外主義の考えを持つものでした。これは、中立で立つ国を悪とする考え方でもありました。
米ソ冷戦中、ベトナムは、西でも東でもない中立的な立場の第3世界を掲げていましたが、
2択なの!何が第3世界よ!分かりの悪い子はお仕置きよ!
ベトナム戦争は、よく米ソの代理戦争と呼ばれたりしていますが、アメリカと利害が一致しなかった、アメリカとベトナムの戦いにソ連と中国が援護しに来た形だったのです。
ベトナムは可哀想な被害者なのか?
ベトナム戦争で有名な川を渡る写真と、アメリカの反戦運動によって戦争は終わったような認識で、
ベトナムは戦争したくないのに、米ソの対立に巻き込まれた可哀想な国
と認識していましたが、なんとベトナム戦争後2つも大きな戦争を起こします。
インドシナの平和は俺が導くぜ!!
ポル・ポト政権で、内政がボロボロのカンボジアに救済の名目で侵攻します。(カンボジア・ベトナム戦争)。これにポル・ポトを支援していた中国が、
ベトナムさん、インドシナを制するのは僕で・す・よ
ベトナムに懲罰を食わせるために、中越戦争が勃発します。
ベトナム編の総括
このようにベトナムの歴史は、中国からの支配への抵抗と、戦争や反乱が多い地域でした。その中のわずか4年間の日本統治は、あまり印象に残っていないと思われます。ベトナムは世界最大の軍事力をもつアメリカに「勝った」だけでなく、歴史上長期にわたり巨大な中国に抵抗し続けるほど独立心とプライドが高く、支配に対して抵抗する能力も意欲も高い国だったのです。
ラオス🇱🇦「日本はアメリカじゃなくて、ソ連に負けたんですよ」
ラオスの大東亜戦争から独立まで
フランスはラオスに対して「愚民化政策」をとります。教育を与えると反乱を起こすと考え、高等教育を受けるにはベトナムで行わせた。また、「放置主義」と呼ばれる間接支配をとり、ラオス人を最下層の労働者として位置づけ、植民地経営にベトナム人を活用する政策をとりました。
第二次世界大戦中にフランスの統治に乗っかり、日本がアジアのフランス領を支配した際に、フランス軍を追い出すため、仏印処理が始まり、フランス軍を駆逐し、1945年4月にラオスは独立宣言した。日本の敗戦後、またフランスが戻ってきて、1949年7月に「フランス連合内のラオスの独立」が認められましたが、事実上植民地と同じだった。1950年に、ラオス自由戦線をベトミンとクメール抵抗派と結成し、1975年に無血革命で、ラオス人民共和国を作ることに成功しました。
ラオス人の歴史観
ラオスは、社会主義的な見方であるため、ソ連と中国共産党が正義と捉えている。日本を最終的に降伏させたのは、アメリカではなく、ソ連の満州侵攻であると言う。日本はインドシナの各国を奪い取り、傀儡政権(操り人形のように日本に都合の良い政権)を設置し、道路建設や武器運搬に民衆を動員し労苦を強いたと考えています。日本の侵攻が独立に役立ったとは感じていないようです。
本日のまとめ
ベトナム戦争後にまさか、戦争を起こしているなんて夢にも思わなかった僕には、驚きの連続でした。ラオス編では、戦争の終わらせ方の認識が日本と異なることから、歴史には様々な見方がある面白さを再認識しました。本日は以上になります。それでは又又六!!
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参考図書
コメント
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