タイと日本の外交から、タイがいかにして数少ない独立国としての地位を保って来たかの一面を知ることができるかも知れません!
前回のお話
大東亜戦争① マレーシア・シンガポール・フィリピン編
大東亜戦争②〜ベトナム・ラオス編〜
第二次世界大戦までのタイと日本の簡単な歴史概要
アユタヤ王朝は、外国との貿易を活発化し、外国人町もできました。1612年に朱印船貿易で、日本町もできました。アユタヤは国籍に拘らず、有能な外国人を登用しタイの名前を与え、タイ人と同じ扱いをしました。
鎖国後も「唐船」として、貿易を続けました。1592年にオランダがアユタヤに使節を送り、積極的に科学技術を取り入れ、1688年にアユタヤ最盛期を迎えました。
1663年にフランス人宣教師がオランダと同じ交易上の特権と改宗を求めました。「仏教の保護」が王の重要な役割なのでありえない話でした。
タイはいち早く西洋の技術を取り入れていたこともあり、かつ宗教も仏教を保護していたため、欧州の植民地になることは免れました。
タイは「イギリスとフランスの緩衝地帯」として植民地にならなかったと認識していましたが、自らの力で独立を勝ち取っていたのですね!
第二次世界大戦開始直後
第二次世界大戦が始まると、タイは直ちに中立を宣言。英仏も植民地の保全のために不可侵条約を結びました。ドイツがフランスを落としたあと、日本が東南アジアにやってきたところを見て、タイもフランスに奪われた領土を取りに来ました。まだ戦争の行方がわからない段階で日本を支援するのは危険だと思い、
フランスを一緒に倒しましょう!
結びたいんっすけど、今日担当者休みで〜
もし、今後日本が有利になれば、日本と手を組み、欧州が優勢になれば欧州と組めるようはっきりとした返答はしなかったようです。したたかですね〜
日本と戦ってる感じ醸し出して、フランスから多めに領土もらっとこ
日本軍と協力して戦ったのではなく、弱ったフランス軍をさも日本と手を組んでるように演出して領土を拡大していきました。
タイとフランスの交渉が進まない中、1940年にフランスはタイに空爆を行います。1941年にタイ軍も仏印(カンボジア・ベトナム辺り)に攻め入るようになります。タイが戦争に負けそうになったところで、日本が仲介役になり、
フランスさんもタイさんもこのへんにしときましょうや〜
ということで東京条約を結ばせました。日本の思惑としては、
ここで負けそうなタイを助けてたら、きっとタイは日本と手を結びたくなるはずや…!
日本は恩を売ったつもりだったが、勝てそうだったフランスは、
マジ、日本なにやってんネン!カッコつけてんじゃネーヨ!
助けたはずのタイ側からも
なんで助けたの?負けてるように見せる作戦で、こっから大逆転の領土大幅獲得するはずなのに。空気読めなさすぎじゃね?
いずれも不満な結果となってしまったそうです。
日本の口説きとタイの日本離れ
タイを助けたと思っていた日本は、中々タイからいい返事がないまま時が過ぎていました。その間、タイは中立そ宣言しつつも、
日本はいつでも手を組めそうだけど、連合国側に寝返る道って確保されてるの?
と心配になったタイは、イギリスに抗日を伝えて、連合国陣営につこうと画策します。しかし、
イギリスさん、タイなんか絶対信用しちゃいけませんよ。僕ちゃんを傷つけたこと一生後悔させちゃうんだから!
フランスと揉めていたこと、イギリスから支持を得られなかったこともあり、その願いは通りませんでした。
1941年に日本が開戦宣言した後も、もう一度
僕は反ファシズムなんです!なんでもするんで助けてください!!
と頼み込みましたが、反応なし。タイは連合国入りを断念し、
日本さん、共にファラオ(白人)たちをぶっ潰しましょう!!
と日本と軍事同盟を結ぶことにしました。
日本と手を組みつつ、敗戦後の責任を負わない方法を編み出す
日本と同盟を結んだものの、冷静なタイさんは、
俺は日本に勝てないことは分かってるけどさ、アメリカ・イギリス・中国・フランス連合軍対日本軍で、日本に勝ち目あるの?良くてドローよね〜。やっぱり連合国につきたいな〜
現在日本と手を組む以外生き残る道がないタイも、日本がこの戦争に勝つとは思っていませんでした。日本と軍事同盟を結びつつ、連合国側に寝返られる道をず〜〜〜〜と考えた結果
せや、日本に無理やり結ばされた体にしよ!
と思い立ち、すぐさま日本との交渉に入り、
じゃあ、ここにサインお願いします。
いや〜すぐ同盟結びたいんですよ。結びたいんですけど、今日担当者の1人が海外出張中で4人の署名できないんですよ。
じゃあ、日を改めますか?
僕はそうしたいと思ってます。でも国民は連合国側に!って声が大きくて。この会合がマスコミにバレたら、世論は日本と同盟結ぶこと嫌がると思うんです。
そ、それは困りますね。。。
だから、先この3人の署名だけして、「同盟結びました」と公表します。後の1人は帰国後書いてもらう形でいいですかね。
そんなのいいんですか?じゃあ、それで!
そんな形で結ばれた同盟ですが、なんと終戦を迎えても4人目の署名はされなかったそうです。なので「同盟関係を結んだ」と公表はしたのですが、実質的には、無効となっている同盟なのです。
そんなのありかよ!!
ここにもタイの戦略がありました。日本が負けた時に、連合国側に
僕は被害者です。無理やり結ばされました。その証拠にメンバーが1名抜けてるんですよ。彼はずっと反対して、その固い意志で署名しなかったんですよ!なのに、強引にこの条約を有効にして。。。
タイは日本が負けた場合はあくまで「やむなく日本と同盟した」という言い分ができるようにしていました。最強のリスクマネジメントですね。
タイは大東亜戦争を利用して領土を拡大しようとした??
タイは、反戦派だったのかな。
と思ってしまいますが、
よしよし。日本が負けた後の逃げ道も作ったし、日本が勝っている間は便乗して領土拡大ガンガンしていこう!
ちゃっかりしてますね!抜け目がない!!
日本の敗戦が見えて来たら…
1943年に枢軸国の劣勢が明らかになると、タイは日本離れしようと画策します。これに日本は気付き、
タイさん、イギリスに割譲したマラヤ4州差し上げますよ!
懐柔策をとるが、タイ側からの反応はありませんでした。
この時点でタイは、
日本から領土を譲り受けるとイギリスとの関係に悪影響が及ぶよね。
と判断して、距離を置きました。
日本も距離を感じていたものの、「独立国タイの主権を犯してはならない」とし、手は出さなかった。タイも日本軍が攻めてきて、政府まで乗っ取られることを恐れ、形だけの同盟は続けました。
日本の敗戦間際になると、同盟国の自分も敗戦国になることを恐れ、イギリスに
日本から無理やりシャン州とマラヤ4州を渡されたんです!これってイギリスさんの領土ですよね?そうです、そうです。お返ししようと思いまして、温めておきました。
領土拡大の野心旺盛なタイが獲得した領土をイギリスに無条件で差し出しました。アメリカよりもイギリスの方が厳しい態度を取ると読んでの対応でした。タイは日本の敗戦後は、親日時代を否定し、やむなく同盟を結ばされたと、イギリスの「反タイ」感情を和らげようとしました。
タイと直接関係のないアメリカは、
日本と関係ないって言ってるんだからいいんじゃない?実際俺と戦ってないし
とタイの主張を受け入れました。しかしイギリスは
じゃあミャンマーに日本軍来た時何もしなかったよね?イギリスの軍人たくさん死んだよ!タイから反撃があったとか報告聞いてないよ!
イギリスは認めませんでした。英仏軍を送って、日本軍の武装解除とタイの占領を行おうとしました。そこで、タイは
もうアメリカに頼るしかない!アメリカ擦り寄り政権作るで!
親米人物を中心に政権を立ち上げます。それをも受け入れなかったイギリスは、21カ条の要求を出します。これは報復色の強い要求だったため、これを知ったアメリカが
おい、イギリス!さすがにこれはやりすぎだろ!
イギリスに再考を求め、窮地を脱します。アメリカの支援を受けながら、イギリスの資産の原状復帰、ビルマとマラヤの領土返還、米の150万トン供給で平和条約を結びました。
フランスとの交渉は難航し、
俺はぜっっっっっったいタイを許さないからな!
フランスはタイの国連加盟に拒否権を発動しました。これにタイは折れ、フランスが主張する領土を全面認める形となり、結局1909年の版図に戻りました。
タイの歴史の教科書での扱い
第二次世界大戦については、「中立」を保ち、戦火を免れた外交の巧みさを淡々とかからているだけ。タイは、強い恨みを後世に残し、外交の柔軟性を制約することが損だと認識してるからか、現存する特定の国を避難することはない。本当の世渡り上手でなのかもしれないですね。
本日は以上となります。それでは又又六!!
公式アカウント
公式LINEアカウントもあります。お得な情報やこのブログに対する意見などどしどしお寄せください!!
コメント
[…] 大東亜戦争③〜タイ編〜 […]
[…] 大東亜戦争③〜タイ編〜 […]
[…] 大東亜戦争③〜タイ編〜 […]