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反日種族主義 内容・感想・おすすめ①〜反日のきっかけ李承晩大統領とはどういう人物か〜

反日

 みなさん一度は耳したことがある話題の書籍「反日種族主義」まず、おすすめ度からいうと、かなりオススメです!!データに基づいて書かれているので、日本人でもかなり納得できるものが多いと思います!!

※ブログ主は韓国嫌いじゃないですよ!!

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 この本を韓国人の方を傷つけない形でざっくり言うと

 日本に併合される前の朝鮮を今の韓国人過小評価しすぎやろ!!

ってことが、まぁざっくり書かれてます。

 その中でも、特にみなさんに知ってもらいたい話題をピックアップして、少しづつお届けしたいと思います。このブログでいいなと思ってもらえれば買えばいいのではないでしょうか?

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この作者はどんな人?

 この本は李承晩大統領から導入が入るのですが、この作者が李承晩学堂の校長なんですよ!!え!!!!??????ってところからのスタートなのですが、その理由は

「彼の反日感情が今も根強く残っている形になっているから、この根っこの部分を克服する努力をすべく、この李承晩学堂で校長をしている。

素晴らしい心意気ですよね!!しかも校長ですから。実績も残された方なのでしょう。

では、その李承晩大統領とはどう言った人物であるのか。解説していきたいと思います!

 「彼は、近世の西ヨーロッパの自由を初めて理解した韓国人で、衰弱し切った韓国を「自由の道へ」蘇生した人物である。彼がいなければ今の韓国あったか疑問。」

 彼の功績は認めているようです。もう少し見てみましょう。

李承晩が反日に走った理由

  韓国で「自由の道」を模索していた李承晩氏は、何がきっかけで反日に走るようになったのでしょうか。

「彼は当初日本に対して好意的だった。1904年監獄で執筆した「独立精神」では、日本民族の賢明さと勇敢さについて幾度も言及。1905年日本の保護国に、1910年併合されてから一変。日本の侵略性を批判。アメリカでも批判し続けた。国の草創期には苦肉の作であった点は致し方ない。」

 意外ですね!日本を好意的に捉えていた時期があっただなんて!!おそらく彼の中では、あの日本でも西洋化できたのなら、俺たちでもできるぜ!!って気運だったところに日本に併合され、

『俺たちの手で国を作りたかったのに!!』

っと言ったところでしょうか。なんだか少し悔しいですね。西洋にも学があった彼なら韓国版の明治維新を起こしたかった気があったのかも知れません。しかし、ここまででは、反日の直接のきっかけにはなりそうにありません。問題は彼が大統領になった後に起こります。(下:李承晩氏イメージ)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/李承晩#/media/ファイル:Rhee_Syng-Man_in_1956.jpg

 「独立後、アメリカに「韓国は日本に農産物を輸出して、日本から工業品を輸入しなさい」とこの方向で国を作っていく、つまり農業国として生きろと言われ反発。西洋のように工業国目指したかったから。」

 これに似たようなこと日本もアメリカに言われましたね、工業品作るなと。それに伴って財閥も解体されましたからね。やっとこさ、自分たちの手で国が作れる!となったときに、韓国は農産物だけ作っとけ!工業品は日本から賄え!では、だいぶ格下に見られた形になりますから。そもそも工業品を作れなくては、国の近代化は難しいですから、当然飲み込めなかったようです。このアメリカからの侮辱だけでありません。なんと国民の様子からが直接的な反日政策の影響を与えたようです。

 「当時は、まだ貧しく、日本に密航するものも多く、日本語の歌を歌い、統治時代がよかったというものも少なくなかった。野党は、速やかに日本と国交締結し経済協力を行うよう求めた。草創期にこんなことをしてしまっては、日本に従属する事態になってしまう。自分たちだけの国を作りたいのに、なぜ周りは日本日本日本。」

 自分がプロジェクトチーム引き継いだのに、前のリーダーがよかった!戻ってきて欲しい!とか言われたら嫌やわな(笑)前のリーダーのあることないこと言って、俺の方がいいやろ?って流れに持っていきたかったのか、真偽は不明ですが、彼の心情を察することは容易ではないでしょうか。そして極みつけは、北朝鮮と在日朝鮮人が起因したみたいです。

 「1950年後半の在日韓国人の北朝鮮への引き渡しで、彼の怒りはピークに。」

 

 いわゆる『地上の楽園』事件ですね。朝鮮戦争後、世界最貧国に落ちた韓国では引受は難しい中、共産圏から手厚いサポートのあった北朝鮮に南部出身者も一緒に引き渡されました。この点で怒られても。。。南部は南部で引き渡ししてよ!ってことだったんですかね。

 以上で李承晩氏の紹介は終わりです!反日に走った理由がほんの少し分かった気がしますね!次回以降は、数字をガツガツ使った検証に入りますので、心して読んでくださいね!

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