韓国はよく、反日、反日と呼ばれますが、仲良い時期ってあったんですかね。有史以来ずっと隣国の仲は悪かったのか、いい時期があったのか。そんなことをこの司馬遼太郎先生の本と実地調査を元に調査してみました。
- 本の紹介
- 古来朝鮮の古来日本への印象
この2本でご紹介します!と、その前に、私は○○だから韓国は日本を嫌いになって当然!とか、○○だから、韓国は悪い!などはしません。どちらかというと、そういう見方があったか!の様な気付かなかったような発見をしてもらいたいと思い、作成しておりますので悪しからず。
1.本の紹介
司馬遼太郎先生と言えば、言わずと知れた歴史小説の大巨匠であることは、日本国民であれば誰もが認める著者でしょう。その彼が、韓国に渡り紀行文を書こうと思ったかきっかけは、
「日本とか朝鮮とかいった国名もなにもないほど古いころに、朝鮮地域の人間も日本地域の人間も互いに一つだったとその頃は思っていたでしょうね。そういう大昔の気分を、韓国の農村などに行って、もし味わえればと思って(韓国に)行くんです。」
とあります。書かれたのは1978年。韓国人が自由に海外渡航ができるようになったのが1989年と考えると、韓国に対する情報が少ない時代であったと考えられます。そんな中で訪れたのが、農村。めちゃめちゃ責めてます(笑)
書かれてる時代は江戸時代までで、朝鮮と日本の点と点を結ぶ作業を、日本の歴史に長けている著者が、こんな繋がりがあるのではないか?ということを考察しているので、本当に面白い。是非興味がある方は読んでいただきたいし、この記事で興味を持っていただけると、尚嬉しい。
2.古来朝鮮の古来日本の印象
まずは、日本の古来の呼称「倭」について、
「倭というのは 、朝鮮音でウェという 。チビ人種という意味をふくめた言葉で 、決して敬意をこめたことばではないが 、むかしから中国 ・朝鮮にあっては日本人をとくに人種的によぶことばとしてつかわれてきた 。」
え?日本人って、中国、朝鮮より小さかったの?って疑問はありますが(笑)、恐らく、大きい方が上、小さい方が下という思想からかと思われます。日本が、何故下に見られていたのか、それは中国から離れているからだけではありませんでした。
「儒教文化圏では、ふんどし裸は嫌われる。男も服を着るのがマナー。だから、日本が随分野蛮に見えた。」
上裸が野蛮と言われれば、まあ分からなくもない気がしますね(笑)。確かに、日本の時代劇ではよく上裸姿よく見かけますよね。中国や韓国ではあまり、良しとしないみたいですね。
あれ?ブルースリー裸じゃない??(笑)
とにかく、良しとしないみたいです。
他にも、
・力による権力は野蛮。だから武士は野蛮。儒教は公平でなくてはならない。
→中国等は、科挙試験で官僚を決めていた。試験に合格すれば民族・出身地関係なく中国で官僚になることができた。この超難関期試験に奈良時代の日本人が合格し、登用されたことがあるそうです。勉学でなく、武力の良し悪しで権力を争う日本は野蛮に見えたそうです。そう言われればそうかも!今の私たちでも納得できる点かも知れません。
しかし!!
この科挙制度が原因で中国の近代化が遅れた一要因と言われています(諸説あり)。理由は簡単!科挙試験に英語や西欧文化が出ないから!!当時の中国の裕福な若者は、科挙試験のための勉強と参考書で手一杯で、『世界がいまどうなっているのか』についてあまり興味がなかったとか…。時代は繰り返すんですかね(笑)今の日本も試験に受かるための勉強では危ないよ!って教訓に是非していただきたいと思い、余談でしたが入れました(笑)
・漢服→韓服→和服の流れの謎
ここでは、僕の長年の謎だった服装の伝言ゲームできてなさすぎじゃない?という疑問を1つ解決の糸口を見つけたので、紹介したいと思います。まず、各国の伝統衣装を漢服→韓服→和服の順に見てみたいと思います。
あれ?漢服ってチャイナドレスじゃないの?と思ったあなた!!チャイナドレスは、満洲服+西欧のドレスが合わさったものです。
ざっくりいうと、漢服・韓服は上着+スカートの様な服装であるのに、和服は分離していないタイプ。なんでここでズレが生じたのか疑問に思っていました。なんとそのヒントが朝鮮の民謡の中にあるみたいです。(史実ではありません)
「倭奴のやつがやってきて、朝廷を作りましたから、どうか衣冠束帯を教えてくださいと頭をこすりつけて頼むので、あいつらには葬式装束が分相応だと思って、それを教えてあげたのさ。」
日本での桃太郎的な話として語られているみたいですけど、めっちゃマウントとるやん!中国から入ってきた文化やろ!笑
ここからは、僕の推測に過ぎませんので、読み飛ばしていただいて結構です(笑)。
もしかしたらですよ、衣装を伝達するときに、
日本人「これは女性の服装ですか?」
朝鮮人「あ、これですか?これは、私の様な高貴な身分の方だけが着ることが許されている服ですのよ。あなたの様な庶民は、葬式…失礼、こちらの服を着るのよ、オホホホホホホホホホホホホホホ。」(ソース全くなし)
日本人(ふ〜ん。そうなんだ。高貴な身分って誰に当たるんやろう?神に支えてる人とか…?せや、巫女さんや!)
ってな流れで、巫女さんの服だけ伝言ゲームを継承しているのではないかと思います。(あくまで素人の推測)
このブログの読者は大変賢いですから、「待て待て、袴。袴が継承してるんちゃうの?」と思った方も多いと思いますが、
日本のあの形の袴できたの、明治・大正時期ですから!!
なんと、現在の学習院女子大学の制服として採用されたのが、全国に女学生の学生服として広がったみたいです。ここ日本でも1000年以上の時を得て、一般庶民にも好まれる様になったんですね!(楽観的過ぎ)
本日の記事は以上です。次回は「白村江の戦いが天皇陛下権威付のきっかけになった??」「豊臣軍から朝鮮軍に寝返った日本人が朝鮮の役人になった話」をお届けしたいと思います!
それでは又又六!!
コメント
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