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なぜK-POPは世界で売れたのか?前編~どのように日本市場を攻略したのか~

韓国

※筆者の完全な主観と偏見も入っていますがご了承ください。間違った認識などあれば、いつでもご意見お持ちしております。

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K-POPは韓国歌謡曲の延長線上にある

K-POPって海外に売るためにできた音楽でしょ?

そう考えている方も多いかと思います。当ブログで特集してきた、韓国歌謡曲90年代、そして日本のカバー特集を見ていただければ分かるかと思いますが、過去から現在へと発展してきた過程が分かります。K-POPが海外色の強い楽曲になって突然登場した訳ではないのです。そして、日本の音楽と近しいことも感じることができるかと思います。そこに私は悔しさを感じると共に、J-POPも戦略さえ間違えなければ世界に羽ばたける十分な土壌があるとも言えます。そこを前編・後編で紐解いていきたいというのが今回の記事の趣旨です。

最難関だった日本市場

韓国音楽は90年代後半から中国や東南アジアでは人気が出てき始めていました。しかし、韓国は80年代から日本音楽市場を狙っているものの、中々日本市場では思うように成果が出ていませんでした。前編では、日本市場を如何にして攻略して行ったのかを紹介したいと思います。

↓参考図書↓

韓国歌謡曲の全盛期であり、衰退期だった80年代

2001年BoAが誕生するまで、チョー・ヨンピルという演歌歌手が日本で最も成功した歌手でした。1989年の紅白では、韓国出身歌手が4組も登場し、未だ破られていない記録です。まさに日本での韓国歌謡全盛期でありましたが、90年を最後に韓国歌謡界の日本進出は終わります。韓国国内でポップミュージックが台頭してきたからでした。

釜山港へ帰れ チョー・ヨンピル조용필
紅白でも歌われた、チョー・ヨンピルさんの釜山港へ帰れ

日本のニーズに合わせた音楽から韓国の音楽へ

実はこのチョー・ヨンピルさんは韓国ではポップミュージシャンとしての側面もあったが、日本の求める「韓国歌謡曲」を提供するため、彼の楽曲の一部である伝統的な歌謡曲の面だけを売り出していました。

조용필 – 단발머리 (1993)

苦戦する90年代

韓国ポップを全面に押し出したアーティストを売り出したいが、韓国の音楽は古いというイメージを腐食したい想いが強く、日本向けの歌謡曲歌手を制限し、ポップミュージシャンを売り出そうと、SMエンターテイメントはソテジワアイドゥルやS.E.Sを日本向けに売り出すが成功しませんでした。

90年代の韓国音楽はこちら

日本で活躍していたソテジ・ワ・アイドゥル

서태지와 아이들 – '난 알아요'| Seo Taiji and Boys -'I Know' 【KBS 토요대행진, 1992】
ソテジ・ワ・アイドゥルの代表曲

S.E.S – Show me your love, 에스이에스 – 감싸안으며, Music Camp 20010421

日本のカバー曲でも紹介したS.E.S。V6とコラボするなど、ソテジ・ワ・アイドゥルよりかなり力を入れて日本進出を図っていました。

J-POPの高い壁

他のアジアで韓国音楽は人気がある一方で、日本では受け入れられませんでした。そもそも日本音楽市場はアメリカのアーティストでさえもCD売り上げ1位を取ることが難しく、世界でも稀な市場です。

日本人はJ-POPの枠組みの一要素として海外の音楽を傾聴する傾向がありました。ならばJ-POP歌手として売り出すのはどうかと試したのが、SMエンターテイメントとエイベックスの共同で創り上げたBoAがデビューすることになりました。

BoA Listen to my heart
4枚目シングルで初のオリコントップ10入り。日本人の作詞作曲でした。

東方神起の成功

BoAで作った土台を形にしたのが東方神起である。日本で初めて成功した韓国アイドルグループです。彼らが成功したポイントは2点あります。

①ドームツアーの成功

1点目は、ドームツアーを成功させたことでした。2010年ごろから音楽市場はCDの売上高よりもドームでの収益が上回る様になりました。このことから、日本国内で活動するにあたりドームツアーを行う実力があるかは非常に大きな指標となっています。

②政治に左右されない

2点目は、この初のドームツアーが2013年最も日韓関係が冷え込んだ時期であったにも関わらず成功した点です。2011年まで東方神起や少女時代が登場していたにもかかわらず、ピタリと止まった以降の成功であることが大きいのです。

韓国人が歌うけどJ-POP

韓国でヒットした歌を日本語歌詞にするのではなく、韓国で発売される曲は韓国で作り、日本で発売される曲は日本で作成する、現在の原型モデルが誕生しました。

これによりどちらの音楽性がより優れているということとは無縁になり、日韓友好の様な大きな看板を背負うこともなく、BoAや東方神起などの韓国のアイドルを純粋に音楽性とパフォーマンスのみを評価する所に持っていくことができました。

東方神起 / Share The World
この曲は、ももクロなど多くの楽曲を手がけるヒャダインこと前山田健一が初めてヒットした楽曲。

2013年から2017年までの空白期間

このドームツアーの成功により、韓国アイドルは、「海外ミュージシャン」であり、「定期的にライブが行える」今までにないスタイルを作り上げました。反応が敏感なメディアに露出することなく、この間も熱狂的な「ファンダム」のお陰で、K-POPが廃れることはなく、次々とアイドル達がドームツアーを成功させていきました。

※ファンダムとは、後編で詳しく解説するが、今回は熱心なファンという認識でお願いします。

韓国文化の国際化

K-POPが「日本のJ-POPの一要素となる」作戦が成功したことで、世界各地にある日本の漫画やJ-POPを取り扱う店でのK-POPや韓流ドラマの取扱いが増えてきました。これにより、日本が地道に長い期間かけて作り上げた土台をうまく利用し、世界に韓国コンテンツが流通する様になりました。

Japan Expoの韓国ブースは日韓友好のため?それとも…?韓国ブースの移り変わりを追った
パリで行われるJAPAN EXPOで出展されている韓国ブース。

政府主導のK-POPだったのか

朴槿恵政権誕生後、政府は「K-POPに対する政府の支援を惜しまない」と自画自賛し、マスメディアを一緒に盛り上がりました。しかし、蓋を開けてみると、韓国政府がK-POPのイメージを国家ブランドの構築や政権広報、事業運営に利用したにすぎなかった。

実際、2014、15年に香港で行われたMAMA(Mnet Asian Music Award)で、朴槿恵大統領の挨拶映像が流れました。これは政府の圧力によるものでした。

2016年夏のスキャンダル発覚まで積極的に政府が関わりを持とうとしましたが、逆効果でした。もし、あのまま政府が関わり続けていたら…とマイナスな面が浮き彫りになる様に、K-POPにとって国家は成長因子ではなく、危険因子であったと言えます。

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本日は以上になります。それでは又又六!!

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